|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 西 : [にし] 【名詞】 1. west ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste ・ 画 : [かく, が] 【名詞】 1. stroke ・ 画家 : [がか] 【名詞】 1. painter 2. artist ・ 家 : [いえ, け] 1. (suf) house 2. family
西川 純(にしかわ じゅん、1886年(明治19年)2月18日 - 1974年(昭和49年)8月■日:享年88)は明治後期から昭和にかけて日本で活動した京都府出身の洋画家。本名は西川純二(にしかわ じゅんじ)。 ==概要== 初め京友禅の仕事をしていたが、洋画を志して鹿子木孟郎の室町画塾に入り、その後浅井忠の聖護院洋画研究所及び関西美術院に学んで、1968年からは同院の理事を務めた。1908年(明治41年)から1911年(明治44年)までは大阪三越呉服店衣装部に勤めたほか、島津製作所にも勤務した。同じ頃、京都市内の私設貝類研究機関・平瀬介館の画工として同館発行の出版物に多くの図を描いた。1917年(大正6年)頃からは頻繁に個展を開いたが、団体展への参加は少なく、京都市展(京都市美術展覧会)と京展のみへの出品であった〔滋賀秀孝 作家解説(50音順) 西川順 in 滋賀秀孝・清水佐保子 『浅井忠と関西美術院展』 府中市美術館・京都市美術館・京都新聞社 2006年 (p.191)〕〔京都市姓氏歴史人物大辞典編纂委員会(編) 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 26 京都市姓氏歴史人物大辞典』 1997年 ISBN 4040022602 (p.510)〕〔佐和隆ほか(編)『京都大事典』淡交社. 1984.11.12 ISBN 4473008851 C0501 (p.703)〕。晩年には京都の町屋をスケッチしたり、明治時代の風俗などを記憶によって描いたりした〔 京都市美術館(編)『京都の洋画 資料研究』(叢書 京都の美術 II ) 1980年.3.31 京都市美術館 ISBN なし(p.203)〕。その中には、やはり記憶による聖護院洋画研究所の様子を描いた精緻な鉛筆画などもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川純 (画家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|